
「うぇーい! カンパーイ!!」
高田馬場の安い居酒屋。ジョッキがぶつかる音が響き、唐揚げの油の匂いとタバコの煙が充満している。
都内の私立大学・経済学部に通う3年生、隆輝(りゅうき)は、サークルの仲間たちと騒いでいた。隣には付き合って半年の彼女・真奈(まな)がいる。
「マジで今月のバイトきついんだけど〜。店長がシフト入れすぎでさー。」
友人の哲也(てつや)が枝豆をつまみながら愚痴る。彼はチェーンのカフェで、立ちっぱなしのシフトに疲弊している。
「わかるわ。俺も来週テスト期間なのに居酒屋の夜勤3連チャンだわ。時給1100円で命削ってるよな、、俺ら」
隆輝は笑って相槌を打ちながら、ジョッキを一気に呷った。
「隆輝はいいよな・・彼女がいて。真奈ちゃんいつもニコニコしてて可愛いし。」
別の友人のタケルが羨ましそうに真奈を見る。真奈は少し恥ずかしそうに微笑み、隆輝の腕を軽く叩いた。
「もう、タケルくんったら。でも隆輝、最近本当に私とのデート中でもスマホばっかりなんだから・・。」
真奈は膨れた頬を可愛らしく見せ、「ねぇ、今度こそ二人で箱根旅行に行こうよ! 私、バイト代だいぶ貯めたんだ!」と提案。
「もちろん行こうぜ! 任せろって。最高の宿を予約してあげるから!」隆輝は力強く頷いた。
真奈の澄んだ瞳は真っ直ぐで眩しいくらいである。彼女はコツコツとカフェでバイトをして隆輝との旅行資金を貯めている。隆輝も、彼女に最高の景色を見せてやりたいと心から思っていた。しかし、そこでポケットの中でスマホが振動する。
テーブルの下でこっそり画面をタップする。証券アプリの黒い背景に、緑と赤の数字がチカチカと明滅している。
(……よし。プラス2万!!)隆輝は心の中でガッツポーズをした。

皆が「時給がどうこう」「バイトがきつい」と嘆いている間に、隆輝は指先一つで2万円・・つまり、彼らが20時間働いて稼ぐ金額を数分で稼ぎ出したのだ。日本は資本主義、時給労働者が資本家に尽くすことでこの世の中は成り立っていると隆輝は考えていた。
「隆輝? どうしたの、スマホばっかり見て」
真奈が心配そうに覗き込んでくる。
「あ、ごめんごめん。ちょっとゼミの連絡が来てさ。。」
隆輝はいつもそういった嘘をつくのだった。

翌日3限目のマクロ経済学の講義の最中であった。
大教室は冷房が効きすぎていて肌寒い。教授が黒板に複雑な数式を書いているが、隆輝の耳には全く入っていなかった。周囲の学生たちは必死にノートを取り、顔を突き合わせて課題の相談をしている。
隆輝はノートパソコンを開き、講義の資料を見るふりをしてチャート画面(板)に釘付けになっていた。
きっかけは先月、サークルの先輩に「ゲーム感覚で稼げるぞ」と教えられたことだった。最初は貯金の10万円で現物株を買っただけだったが、ビギナーズラックで3万円勝った。その快感が忘れられなかった。
「労働なんて馬鹿がすることだ」—そんな危険な思想が、脳の片隅で芽生え始めていた。
そして今狙っているのは、SNS上で新薬開発の噂があるIPOバイオベンチャー『メディカル・フロンティア』。
SNSでは「今日の後場(ごば)で間違いなくストップ高になるぞ!」と煽り屋たちが騒いでいる。
(いける……俺はこの波に乗って将来資本家になるんだ!!)
隆輝の心臓が早鐘を打つ。
手持ちの資金は30万円。しかし信用取引を使えばその約3.3倍/100万円分の株が買える。もし株価が10%上がれば10万円の利益。学生にとっては大金である。
「えー、この限界効用が……」教授の眠たい声が遠のく。
隆輝は震える指で[成行買い・信用・3000株]のボタンをクリックした。
その瞬間、チャートのローソク足がグンと上を向いた。

画面上の含み益が、スロットマシンのようにグングン増えていく。
脳内でドーパミンが炸裂する音が聞こえた気がして、学生たちが必死にノートを取っている姿が急に滑稽に見えた。
(みんな何やってんの!? 鉛筆動かしてる間に、俺は来月の家賃を稼いだんだぞ?)
「うおおっ…」
思わず声が漏れた。株価が急騰(特買い)、一気に利益が8万円を超えたのだ。
「佐藤くん、どうしました?」教授が眼鏡越しにこちらを見た。
教室中の視線が集まる。
「あ、いえ…なんでもないです。すみません!!」
隆輝は小さく頭を下げたが、顔はニヤけていた。
8万円。真奈と行く予定だった箱根旅行の代金がこの瞬間に「タダ同然」になった。いや、もっといい旅館に泊まれるはずだ。彼女のバイト代に頼る必要もない。

講義終了のチャイムが鳴ると同時に、隆輝は利益確定のボタンを押した。
『本日実現損益:+84,500円』
教室を出ると、夏の日差しが眩しかった。キャンパスを行き交う学生たちの笑い声が、いつもより色鮮やかに聞こえる。
世界が自分のために回っているような全能感。
「隆輝ー! 食堂行こうぜ!」
友人のタケルが走ってくる。隣には哲也もいる。
「おー。あ、今日俺おごるわ。みんな好きなもん食えよ!」
隆輝は鷹揚に手を挙げた。
「え? マジ? お前どうしたん、宝くじでも当たったん?」
哲也が目を丸くする。
「まーね。ちょっとした『ビジネス』が上手くいってさ。」
隆輝は冗談めかして言ったが心の中は本気半分、優越感半分だった。
「ビジネス」という言葉の響きに、隆輝は酔いしれた。
だが彼は気づいていなかった。
彼が手にしたのは「ビジネスの成功」ではなく、破滅へのジェットコースターの「優先搭乗券」であることを。
スマホの画面には、次の銘柄のニュース通知がポップアップしていた。
『急騰中! 次のテンバガー(10倍株)はこれだ!』
(もっとイケる。種銭(たねせん)さえあれば、俺は億り人になれる!そうすれば資本家までまっしぐらだ。)
隆輝は歩きながら学生ローンのサイトを検索し始めていた。
キャンパスの賑やかな喧騒・・しかし彼にはもはや聞こえていなかった。
インベスターズノベルズFILE.1 『キャンパストレーダー隆輝編②に続く
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