第114話 インベスターズノベルズ 『幸福のドミノ』① 俳句から始まる怪しい絆

*【この作品はフィクションです。実際の人物や団体などとは一切関係ありません。】

桜が散り始めた四月のある日のことだった。田中光子(たなかみつこ・七十二歳)は いつものように近所の公民館へと足を向けていた。月に二度開かれる俳句サークルの日である。

 夫の正一(しょういち)を見送ってから もう五年が経つ。子どもたちはそれぞれの家庭を築き 孫の朝斗(あさと)も大学生になった。誰もいなくなった一軒家に光子はただ一人で暮らしている。テレビの音を消せば聞こえてくるのは壁掛け時計の秒針だけ——そんな静かな日々が当たり前のように続いていた。

 俳句サークルは光子にとって数少ない「誰かと繋がっている」と実感できる時間だった。同世代の仲間たちと季語を語り合いお茶をすすりながら他愛のない世間話に興じる。それだけが光子の生きがいだったと言っても大げさではない。

 サークルにはLINEのグループがあり 句会の日程調整や撮った写真の共有に使われていた。スマホの操作にさほど詳しくない光子だったが 息子の健一(けんいち)に教わりながらなんとかグループのやり取りにはついていけていた。

 その日 グループに一人の新しいメンバーが加わった。

「はじめまして。木村と申します。知人の紹介でこちらのグループに参加させていただきました。俳句は素人ですが皆様と交流できればと思います」

 プロフィール写真には品の良い白髪の紳士が写っていた。丁寧な言葉遣いと落ち着いた物腰がグループの高齢者たちの警戒心をやんわりと解いていく。
「まあ 素敵な方ね」「今度の句会 いらっしゃるのかしら」そんな会話が画面の向こうで交わされた。

 木村は最初の一ヶ月間俳句の話しかしなかった。物腰柔らかな紳士然とした振る舞いは参加者たちの記憶に好印象として静かに刻まれていった。

「木村さんって本当に感じのいい方よね」

 帰り道 光子は隣を歩く友人の富子(とみこ)にそう漏らした。

「そうねぇ。元々は証券会社にお勤めだったんですって。定年後は悠々自適らしいわよ」

 そんな何気ない会話の積み重ねが木村という人物への「信頼」という土壌を誰にも気づかれぬまま静かに耕していった。

 きっかけは木村が個人的に光子へLINEを送ってきたことだった。

「田中さん 先日の句会での『枯葉舞う 独り言葉に 耳を貸す』という句 心に染みました。もしよろしければ個別にお話しさせていただけませんか」

 光子は少し驚いたが悪い気はしなかった。誰かが自分の言葉に自分の孤独に真剣に向き合ってくれている—そう感じられたからだ。

 木村とのやり取りはそれから少しずつ増えていった。俳句の話。亡くなった夫の話。健康の話。木村は聞き上手だった。光子が語ることに丁寧に相槌を打ち 時には自らの身の上話—「実は私も妻を早くに亡くしましてね」という打ち明け話を差し挟み距離を縮めていくのだった。

 二ヶ月が過ぎた頃 木村は初めて「お金」の話題に触れた。

「田中さん こんなことを申し上げるのは差し出がましいかもしれませんが…実は私 証券会社時代の経験を活かして今は数名の親しい方だけに資産運用のアドバイスをしているんです。老後の資金、心配ではありませんか」

 光子は正直に打ち明けた。年金だけでは心もとないこと。夫が遺してくれた退職金と保険金はあるもののこの先何年生きるか分からない不安があること。

「実はね木村さん。朝斗っていう孫なんですけど何かしてあげたいと思っていて。でも銀行に預けていても利息なんてほとんどつかないでしょう?」

 木村はまるでその一言を待っていたかのように優しい口調で語りかけた。

「田中さんのお気持ちはよく分かります。実は今ごく限られた方だけにご案内している運用方法がありましてね。AIを使った自動売買システムなのですが、まだ田中さんには早いお話かもしれません」

 「まだ早い」、その一言が光子の中に小さな好奇心の種を植えつけた。

 それから木村は焦らすように少しずつ情報を小出しにしていった。「グローバル・ウェルス・パートナーズ」というアプリのスクリーンショットを見せ「これは私の懇意にしている方の運用実績です」と語る。緑色のグラフが右肩上がりに伸びていく画面は光子の目に眩しく映った。

「実際にどれくらい増えるものなの?」

 光子が尋ねると木村は少し困ったようなそれでいて自信ありげな笑みを浮かべる文面を送ってきた。

「もちろん保証はできません。しかし私が信頼するファンドマネージャーのチームが運用していてこの半年で平均して資産を一・三倍にした実績があります。ただ…田中さんにはリスクのある話をご紹介するのは気が引けましてね」

「そんな 遠慮しないでください。教えてほしいわ」

 光子が自ら「教えてほしい」と言うまで木村は決して自分からは誘わなかった。

 初めての入金はたった三万円だった。

「まずは少額から試してみましょう。田中さんのご不安な気持ち 無理強いはしたくありませんから」

 木村が案内した通りに光子はアプリをダウンロードし指定された口座に三万円を振り込んだ。数日後 アプリの画面には「三万二千四百円」という数字が表示されていた。

「本当に増えてる…」

 光子は小さな感動を覚えた。少額の「勝ち」を実際に体験することで「次はもっと大きな額を」という欲求が自然と芽生えてきた。

 夏が来る頃には光子は月に一度木村と個別にLINE通話をするようになっていた。

「木村さんとお話ししていると なんだか元気が出るのよねぇ」

 光子はたまに顔を出す健一の妻・由美(ゆみ)にそう漏らしたことがあった。由美は当時特に気にも留めなかった。義母に新しい交友関係ができたことをむしろ喜ばしく思っていたくらいだ。

 木村は光子の生活リズムや家族構成、健康状態、そして最も重要な資産状況について雑談を装いながら少しずつ聞き出していった。

「田中さんのお家、素敵ですね。ご主人が遺してくださった財産 大切にされているんでしょうね」

「ええ 実は退職金と保険金で千八百万円ほど…。まあ 私にはとても大きな金額なんですけど」

 木村はその一言を聞き逃さなかった。

 秋が深まる頃 木村は光子を「特別な少人数LINEグループ」に招待した。そこには光子の他に数名の「先輩投資家」たちが参加していた。彼らは日々「今月も含み益が二十万円増えました!」「木村先生 いつもありがとうございます」といったメッセージを投稿し続けた。これもまた光子に「他の人も成功している」という社会的証明を刷り込むための組織的な演出だった。

 光子の入金額は少しずつしかし確実に増えていった。三万円が十万円になり十万円が五十万円になり五十万円が二百万円になった。そのたびにアプリの画面には見事なまでに右肩上がりのグラフと増え続ける「運用資産」の数字が表示され続けた。

「田中さん、素晴らしいですね。あなたの判断力には脱帽です」

 木村からの褒め言葉は光子にとって何よりの報酬になっていた。孤独な日々の中で誰かに認められ褒められる。それは光子が長い間渇望していた感覚だったのかもしれない。

 年が明け 光子は誰にも相談することなく退職金と保険金の大半、実に千五百万円をこの「運用」に投じていた。もはや光子にとって木村は単なる「投資アドバイザー」ではなく心の支えとなる存在にすらなっていた。

 そして四月。桜がまた咲く頃 健一たち家族が光子の家を訪れた。「ただいまー」ではなくこの日は「お邪魔します」だった。健一、由美、そして大学生になった朝斗の三人。

「あら みんな来てくれたのね! ちょうど良かった。見てほしいものがあるの」

 光子は嬉しそうにタブレットを取り出した。画面には見慣れないアプリが開かれていた。緑色を基調としたシンプルなデザインで「グローバル・ウェルス・パートナーズ」というロゴが表示されている。グラフには右肩上がりの曲線が描かれ「運用資産:一九、八〇〇、〇〇〇円」という数字が輝いていた。

「お袋 これ何?」

 健一の声には経理職特有の職業的な違和感が滲んでいた。

 光子はこの一年間の経緯を、木村との出会いから少しずつ信頼を築いていった過程を嬉しそうに語り始めた。健一と由美はその話を聞けば聞くほど背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

「お袋、いくら入れたんだ?」

「最初は三万円だったのよ。それがすぐに増えて本当に驚いたわ。木村先生の言う通りにしていたらあっという間に増えていくんだもの」

「それで 今は…??」

「今はね 退職金と貯金 ほとんど全部を預けているの。だってこのアプリを見て毎日資産が増えているのよ? 孫の朝斗のためにももっと増やしてあげたいじゃない」

 由美が息を呑んだ。朝斗も画面を覗き込み怪訝な顔をした。

「おばあちゃん これ 出金したことある?」

 その質問に光子は一瞬固まった。

「え、そういえば まだないかも。でも木村先生が『今出すと運用効率が落ちるから もう少し待った方がいい』っておっしゃっていて…」

 健一の中で警報が鳴り響いた。一年かけて築かれた「信頼」という名の罠が目の前でゆっくりとその正体を現し始めていた。

 その夜 光子の家からの帰り道。車を運転する健一の隣で由美が不安げに口を開いた。

「あれ 大丈夫なの…? なんか嫌な予感がする。一年もかけてあんなに仲良くなってたなんて」

「ああ。俺も同じことを考えてた。一年だぞ…一年かけてじわじわとお袋を信じ込ませていったんだ」

 健一はハンドルを握りながら経理課の同僚が以前話していたニュースを思い出していた。SNSやマッチングアプリあるいは趣味のコミュニティを通じてじっくりと接近し時間をかけて信頼関係を構築した上で偽の投資アプリで「含み益」を見せつけ大金を巻き上げる—いわゆる「SNS型投資詐欺」。ここ数年日本各地の高齢者が被害に遭いその被害総額は年間数百億円規模に膨れ上がっているという。

 「木村先生」という人物。俳句サークルへの唐突な参加。一年近くをかけた徐々の接近。少額での成功体験。社会的証明としての「先輩投資家」たち。そして「今出すと運用効率が落ちる」という出金拒否の常套句—すべてが健一の記憶の中にある詐欺の手口と恐ろしいほど一致していた。

「明日 お袋にもう一度ちゃんと話を聞こう。証券会社の登録番号とかそのアプリの正体を調べてみる」

「大丈夫よね…?」

 由美の声が震えていた。助手席で黙って話を聞いていた朝斗がスマホを取り出して何かを検索し始めた。

「父さん、これ見て」

 差し出された画面には金融庁のウェブサイトが表示されていた。

 『無登録で金融商品取引業を行う者に関する情報について』

 そこには「グローバル・ウェルス・パートナーズ」の名前は載っていなかった。しかし似たような手口の被害情報がいくつも報告されていた。

「登録 されてないってことは…」

朝斗の声が固くなる。

健一はハンドルを強く握りしめた。フロントガラスの向こうに広がる夜の街。信号待ちで止まった車の中 家族の間に重苦しい沈黙が流れた。

(一年かけてじわじわと築かれた信頼をたった一晩で崩せるのか⁉︎ もしお袋が「お前が疑うなんて失礼だ」と怒ったら…。千八百万円のうちもう千五百万円が動いているかもしれない)

 健一のスマホが震えた。画面には「お袋」の文字。

 恐る恐る通話ボタンをタップすると光子の弾んだ声が聞こえてきた。

「健一? ちょうど今 木村先生からLINEが来てね! 『特別優待プラン』に招待されたのよ! 追加で二百万円入金すればなんと三ヶ月で一・五倍になるんですって! これ 今夜中に申し込まないと枠がなくなっちゃうから明日の朝一で銀行に行こうと思って。」

「お袋、待て! 絶対にダメだ。それは—」

 健一の制止も虚しく電話はブツリと切れた。「圏外です」という無機質なアナウンスだけが健一の耳に鳴り響いた。

 窓の外ではいつの間にか小雨が降り始めていた。フロントガラスを叩く雨音がまるで迫りくる危機を告げる鐘の音のように健一の胸に重く響いた。

幸福のドミノ②に続く

にほんブログ村 株ブログ サラリーマン投資家へ
にほんブログ村

人気ブログランキング
人気ブログランキング

コメントする

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)