
「次はレゾナック。」
黒田が身を乗り出した。
三浦が立ち上がり、ホワイトボードのペンを取る。数字を確認する間もなくスラスラと書き進めていく手つきに蓮は目を奪われた。
「営業利益 1,050→1,600億円(8月修正)/純利益 770→1,125億円/コア営業利益 前年同期比2.6倍。」
書きながら口も止まらない。
「この銘柄、今年に入って上方修正を二回やってる。5月13日に上期予想を上げて、8月6日にさらに通期予想を上げてきた。」
「2月時点の通期見通しは営業利益1,050億円。8月の修正で1,600億円まで引き上げ。純利益も770億円から1,125億円。半導体・電子材料セグメント、特に後工程材料が牽引役です。」
「ただ、売上収益だけ見ると前回予想比で減収なんですよね。」
三浦が資料の一行を指でなぞる。
「これ、事業の勢いが落ちたわけじゃない。今年10月に予定しているクラサスケミカルセグメントのパーシャル・スピンオフに伴って、このセグメントを非継続事業として扱うことになった。会計上、継続事業ベースの売上高から抜け落ちる形になるので、見た目の売上収益は減る。」
「切り離すのは事業の一部を外に出すということですか?」
蓮が確認する。
「そう。会社を丸ごと分離するスピンオフと違って、パーシャル・スピンオフは対象事業の株式の一部だけを既存株主に按分交付して、残りは親会社が持ち続ける形。レゾナックからすれば、コモディティ寄りの基礎化学品事業を切り離して、半導体・電子材料など成長領域への集中を進める布石と読める。」
黒田が付け加える。
「重要なのは、コア営業利益より下の各利益項目は、この非継続事業の扱いとは関係なく、前回予想比でむしろ増益方向に修正されてる点。理由は主に半導体・電子材料セグメントの販売数量の増加。売上収益の見た目の減少は事業ポートフォリオの入れ替えによるノイズで、実態としての稼ぐ力はむしろ上振れしてるということだ。」
「後工程材料っていうのは?」
蓮が小声で尋ねる。
「AIサーバー向けのNCF(非導電性フィルム)、CCL(銅張積層板)、TIM(放熱材料)の三つ。決算説明会によると、第2四半期のAI関連売上ボリュームは第1四半期比で約1.5倍。通期でもAI向け製品の売上は前年度比2倍超になる見通しだ。」
黒田が答える。
「業界構造も見ておきたい。パッケージ基板の絶縁材料ABFは味の素がほぼ独占、世界シェア95%超。この味の素が2026年第3四半期から主力製品を30%値上げした。レゾナックと三菱瓦斯化学もCCL関連材料を4月付で30%値上げしてる。上流の材料メーカーが横並びで大幅値上げしても下流は受け入れざるを得ない。代わりがきかない材料を作っている会社は、値上げしても客が離れない。この構図が続く限り、後工程材料事業は数量だけでなく単価でも稼げる。」
「それは強気すぎる読みだと思う。」
三浦が資料を軽く叩いた。
「逆に言えば、需要が鈍化した瞬間に値上げが効きすぎていた反動も出やすいということです。上期のコア営業利益は前年同期比2.6倍の888億円。ここまで急拡大した数字を、来期以降も同じペースで伸ばせると見るのは楽観的すぎませんか。」
「楽観じゃない、構造の話をしてる。」
黒田も引かない。
「数量ドリブンの伸びが反動リスクを孕んでるのは分かってる。だけど、この値上げは一社の都合じゃない。味の素、レゾナック、三菱瓦斯化学、上流から下流まで足並みを揃えて値上げしてる。業界全体の供給が本当に逼迫してる証拠で、一過性の駆け込み需要とは質が違う。」
「その値上げのタイミングが揃ってるところ、僕も気になってました。」
蓮が控えめに、しかしはっきりと口を開いた。
「味の素のABF値上げが第3四半期から、レゾナックと三菱瓦斯化学のCCL値上げが4月付。時期はズレてますけど、同じ年に複数の会社がほぼ同時に値上げを通せているのは、個社の交渉力というより、業界全体で供給より需要が先に伸びている『売り手優位』の状態が続いてる証拠じゃないでしょうか。だとすると、需要が多少鈍化しても、値上げ分がすぐに剥落するとは限らない気がします。」

一瞬、部屋が静かになった。
「…悪くない視点だ。」
黒田がわずかに口角を上げる。
三浦も表情を緩めた。
「たしかに値上げの『同時性』は業界全体の需給を測る手がかりになる。ただ、それでも数量が想定より落ちれば、単価だけでは支えきれない。楽観と警戒、両方を頭に入れて次の決算を見ましょう。」
「地政学リスクは?熊本地震もあって、半導体サプライチェーン全体が神経質になってる局面ですよね。」
三浦が付け加える。
「レゾナック自体の主力拠点への直接被害は確認されていないけど、業界全体のリスクとして頭には入れておくべき。」
黒田が頷く。
「レーティングは?」
蓮が聞く。
「アナリストコンセンサスは『強気』。目標株価コンセンサスは20,000円台前半で、まだ2割近い上値余地を示している証券会社もある。」
三浦が答える。
「テクニカルは短期・中期・長期の移動平均線がいずれも上向きで、株価はその上を走る第二ステージだった。ただし一時大きく調整した局面もあって、上下動が荒い。上方修正のたびに急伸してきた分、材料出尽くしで一旦利益確定売りが出やすいクセもある。」
黒田が補足する。
「需給面では信用買い残の積み上がりが目立っていて、信用倍率もやや高め。『信用倍率が高いから反落リスクに注意』という声が出ているくらい、個人の信用買いが多く入っている状態。10月のクラサスケミカルのスピンオフに向けては、需給的なイベントとしても意識しておく必要がある。」
三浦が頷く。
芦田が判断を下す。
「レゾナックは『段階的に買い増し』方針。すでに保有分があるから、押し目でナンピンではなく、上放れを確認しながらの分割エントリーで。」
ホワイトボードにサマリーを書いておきますね。三浦がスラスラと会議の内容を転記した。

芦田が締めくくる。『次はリクルート。皆、予習復習をよろしくね。』
<用語解説>
コア営業利益……一時的な特別損益などを除いた実態ベースの営業利益。
パーシャル・スピンオフ……対象事業の株式の一部を既存株主に按分交付し、残りは親会社が保有し続ける組織再編手法。
信用倍率……信用買い残を信用売り残で割った値。数値が高いほど買い方に需給が偏っており、将来の反落リスクが意識されやすい。
第96話に続く
にほんブログ村
人気ブログランキング