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第100話 リンセツ!!不動産ラビリンスPart9 浅草編 百年蔵の相続人 エピソード2『雷門再開発 闇の連鎖』

【新登場人物】
向井拓也(むかい たくや)| 極限グループ 開発企画部 主任
浅草一丁目地区の再開発案件を担当する若手社員。几帳面な性格で資金の流れに違和感を覚え始めていた。

簑輪征司(みのわ せいじ)| 極限グループ 専務取締役
浅草再開発プロジェクトの実質的な統括者。柔和な物腰の裏に何を隠しているのか誰も測りかねている。

黒沢誠一(くろさわ せいいち)| 警視庁捜査一課 警部
神崎徹の変死事件を担当する叩き上げの刑事。地権者の連続する不審死に疑念を抱いている。

極限グループ本社四十二階。窓の外には東京の夜景が広がり浅草方面の灯りだけがひときわ小さく沈んで見えた。まるでその一角だけが街から切り離され闇に呑まれているようだった。フロアにはもう向井拓也しか残っていない。蛍光灯の唸る音だけが響く誰もいなくなった開発企画部のオフィスで彼はパソコンの画面と睨めっこを続けていた。

三日月堂、神崎堂そして周辺の数軒――地権者への「協力金」名目の送金記録。金額も日付も微妙にずれていて素人目には気づかれない程度に巧妙に偽装されている。だがその送金元をたどるとペーパーカンパニーを何重にも経由した末にふっと闇の底へ消えてしまう。まるで最初から誰の目にも触れないよう設計された迷路のようだった。

「こんな金の流し方普通の開発事業やない。」
向井は誰にともなく呟き資料を鞄に詰め込んだ。入社して五年。浅草案件に配属された時は名誉なことだと思っていた。だが最近は違う。担当が変わるたび前任者が体調を崩して異動していく。その符合がずっと胸の奥に引っかかっていた。上に報告すべきかそれとも―。


背後の空気が微かに動いた。振り返るより先に、声がかかった。
「向井君、まだ残っていたのか。」
専務の簑輪征司だった。足音がまるでしなかったことに向井はぞっとした。まるで初めから部屋の暗がりに溶け込んでいたかのように、いつの間にかそこに立っていた。
「専務……。少し確認したいことがありまして。」
簑輪は微笑んだまま向井の手元の資料に目を落とした。その笑みの奥に何があるのか向井には読み取れなかった。老獪という言葉がこれほど似合う人間を向井は他に知らなかった。目だけが、笑っていなかった。
「熱心なのはいいが根を詰めすぎるなよ。この案件は――繊細なんだ。表に出せない事情もある。分かるだろう。」
「…はい。」
「今日はもう帰りなさい。続きは明日でいい。」


簑輪は肩に軽く手を置くと踵を返し部屋を出ていった。その手のひらの温度がなぜか妙に冷たく感じられた。まるで生きている人間の体温ではないような、そんな錯覚さえ覚えた。向井はしばらくその場に立ち尽くしそれから資料を鞄にしまい直した。今夜のうちにコピーだけは取っておこう。そう決めていた。

翌朝浅草警察署の一室。窓の外には梅雨の湿った空気が澱み、蛍光灯の光までもがどこか黄ばんで見えた。黒沢誠一は青ざめた顔の田村隆一と向かい合っていた。神崎徹が神崎堂の前で発見された夜、隆一は現場付近を歩いていたという目撃証言が上がっていた。
「田村さん、事件のあった夜あなたは何をしていましたか。」
「散歩だ。親父のことで頭が整理できなくてな。」
「神崎さんとは面識がありましたね。」
「幼馴染だ。だが最近はろくに話してもいない。」
「幼馴染にしてはあなたの声には妙な棘がありますね。」
隆一の声には苛立ちが滲んでいたが、それが後ろめたさなのか単なる悲しみなのか黒沢には判別がつかなかった。刑事という職業柄人の嘘には敏感なつもりだったがこの男の表情は妙に読みにくい。まるで仮面の下にもう一枚別の仮面を隠しているようだった。

同じ頃、蟇目啓一も別室で事情聴取を受けていた。
「儂は再開発を進めたいだけだ。誰かを殺してまで土地を奪う理由がどこにある。」
「奪う、という言葉が出てくるのが興味深いですね。」
黒沢の指摘に蟇目の表情が強張った。
「言葉の綾だ。揚げ足を取るな。」
「取っているのはあなたの方かもしれませんよ。」
蟇目は答えずただ卓上の水を一気に呷った。その喉仏の動きだけが、やけに大きく見えた。


表参道の事務所。刹那と凛は集めた供述と資金移動の記録を突き合わせていた。壁の時計はもう夜十一時を指している。デスクの上には自社開発のAI解析システム「Truth eye」の画面が青白く光っていた。

「刹那、Truth eyeに神崎さんの現場周辺の防犯カメラ映像かけてみたんやけど、なんか変な結果が出た。」
凛の声が硬い。
「変な結果って?」
「映像そのものは本物。せやけど蟇目さんの店の防犯カメラだけ、事件当夜の三十分間だけデータが差し替えられとる痕跡がある。ディープフェイクの合成特有の光の粒子が検出されてん。」

刹那の目つきが鋭くなった。
「つまり誰かが証拠を捏造したか、あるいは隠蔽したってことね。」
「せや。しかもその改ざんに使われた技術、素人の仕業やない。相当な資金と設備がないと組めへんレベルや。」
「極限グループのような組織が絡んでいるなら末端の汚れ仕事を担う人間は一人とは限らないよ。手を汚す人間と指示を出す人間は別なんだと思う。神崎さんの事件と源造さんの事件で手口が違うのもそのせいかもしれない。」
刹那は資金移動の記録を指でなぞった。
「この送金網、途中で必ずある社員のIDを経由している。向井拓也。開発企画部の主任だ。」
「刹那、うちも同じ名前に行き当たっとってん。もしかしたら向井さんが内部から突破口になってくれるかもしれへんな。」
「明日にでも接触してみましょう。ただし慎重にね。この相手はもう証拠を消すことに躊躇がないから。」


その言葉がまるで何かを予感していたかのように後になって刹那の胸を重く刺すことになる。

同じ夜、極限グループ本社ビル。誰もいなくなったはずのオフィスに向井拓也はまだ残っていた。コピーを終えた資料をUSBメモリに移し鞄の奥深くに隠す。手が震えていた。空調の音だけが、やけに大きく耳に響く。

エレベーターホールへ向かう途中非常階段の扉が薄く開いているのに気づいた。いつもは施錠されているはずの扉だ。冷たい空気が隙間から漏れ出していた。地下から吹き上げてくるような、湿った土の匂いがした。

「誰かいるのか。」
返事はない。だが階段の奥、常夜灯の届かない暗がりに確かに何かが動いた気配があった。向井は踵を返そうとした。その刹那、闇そのものが形を持ったかのように何かが動いた。
背後から伸びた手が肩を強く掴んだ。
「痛っ!」

声を上げる間もなく体が階段の縁へと押しやられる。落ちれば数十メートル真下に真っ逆さまだ。鞄が手を離れUSBメモリが乾いた音を立てて床に転がった。もみ合う影は一つ二つ―暗がりの中でそれ以上は判別できない。ただ息遣いだけが、獣のように荒かった。

何者かに手を掴まれ、限界に達した向井の身体は既に宙に浮いていた。視界が大きく傾き、次に訪れたのは頭に感じる鈍い衝撃と遠くなっていく意識だった。薄れゆく意識の中で向井は自分の名を呼ぶ声を聞いた気がした。だがそれが誰の声だったのか最後まで分からなかった。

非常灯の緑色の光だけが静まり返った階段室を照らし続けていた。血だまりの中で向井の指先が微かに震えていた。まだ息はあった。かすかにだが確かに。

翌朝、刹那のスマートフォンが鳴った。黒沢からだった。短いやり取りの後刹那の顔から表情が消えた。

「向井拓也が極限グループの本社ビルの非常階段で意識不明の重体で発見された。今は救急搬送されて集中治療室に入っているらしい。」
凛が息を呑む。

「意識不明って…でも生きとるんやね!それだけでもよかった。てことは犯人は極限グループの中におるってこと?」

「外部の邪魔者を消すだけじゃない。組織の内側からも誰かが動いているのかもしれない。」
刹那は窓の外に目をやった。雨は上がっていたが空はまだ重く低いままだった。街全体が、何か大きなものに見張られているような気がした。

「利権という名の泥沼は外の人間だけを飲み込むわけじゃない。中にいる人間さえいずれは沈められるんだよ。」

凛は震える声で呟いた。

「刹那…この事件うちらが思ってるよりずっと根が深いんちゃう…?Truth eyeでも追いきれへん闇があるんかもしれへん。」
答える代わりに刹那はもう一度スマートフォンを取り上げた。
「向井拓也が最後に会っていた人物を洗いましょう。―簑輪征司、極限グループ専務。Truth eyeにあの男の顔も学習させておいて。それと病院にも連絡してくれる? 向井さんが目を覚ました時、真っ先に話を聞けるように。」

その名を口にした瞬間事務所の空気が一段と冷たくなった気がした。窓の外では雷門の提灯がまだ雨に濡れて赤く滲んでいる。だがその赤は、もはや祭りの灯ではなく、血の色をしているように刹那には見えた。

利権に目が眩んだ再開発の闇は内側からも牙を剥き始めていた。そしてその闇は、まだ底が見えない。

(エピソード3に続く)

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サラリーマン投資家。Xを運用開始して約8年、2024.11よりブログ開始

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