
「次はリクルート。」
三浦が資料を配りながら口火を切った。
そのままホワイトボードに向かい、ペンを走らせる。
「最終利益予想 6,230→7,550億円(+21.2%)/前年同期比+35%/翌営業日ストップ高。」
「8月7日引け後に27年3月期第1四半期を発表。通期の最終利益予想を従来の6,230億円から7,550億円に、21.2%の上方修正。これで4期連続の最高益予想をさらに上乗せした形です。株は翌営業日ストップ高。」
「牽引役はIndeedの米国事業。US ARPJ、つまり米国での求人1件あたりの売上収益が前年同期比35%伸びてる。」
黒田が割って入る。
「35%って、単純に広告単価が35%上がったってことですか?」
蓮が思わず口を挟むと、芦田がすかさず制した。
「そこが勘違いしやすいポイントよ。ARPJの分母は無料掲載も含めた掲載求人の総数。分子はスポンサー求人や採用支援機能などの有料売上。つまり『有料広告を出した企業が高い金額を払うようになった』というより、『無料求人に対してより多くの企業が有料オプションを使うようになった』効果が大きい。単価そのものが上がっているというよりマネタイズ率が上がっていると読むべき。」
「一言でまとめると、『広告の値段が上がった』んじゃなくて『もっと多くの企業がお金を払うオプションを選ぶようになった』ってことですよね。」
蓮がノートにペンを走らせながら確認すると、芦田が頷いた。
「その理解で合ってる。難しい専門用語が出てきても一度自分の言葉に置き換えてみる癖をつけるといいわ。」

三浦が続ける。
「この伸びが一過性なのか構造的なのかが論点です。米国の雇用統計は減速気味だけど、求人の『数』が減っても企業側が有料オプションに頼る比率が上がれば収益は伸びる。むしろ採用が厳しい局面ほど、企業は目立つ求人枠にお金をかける傾向がある、という見方もできます。」
「本当にそうでしょうか。」
蓮が思い切って口を挟んだ。
「採用が厳しい局面って、企業側からすると『採用予算そのものを削る』方向にも動きませんか。有料オプションにお金をかけるのは、あくまで『採用意欲はあるけど良い人材が採れない』局面での話であって、景気後退で採用自体を止めてしまう局面では、無料掲載すら減ってしまう気がします。ARPJが伸びているのは今のところ『採用意欲はまだ強い』ことの裏返しであって、もし本当に米国の雇用が崩れ始めたら、この強さの前提ごと崩れるんじゃないでしょうか。」
一瞬、黒田と三浦が顔を見合わせた。
「…悪くない反論だ。」
黒田が唸る。
「たしかにARPJの強さは『採用意欲はある』ことが大前提。俺はそこを無条件の前提にしていた。」
「重要な切り分けね。」
三浦が頷く。
「だから、この銘柄を見るときはARPJの数字そのものだけじゃなく米国の求人件数の絶対水準、特に掲載継続率のようなデータも合わせて追う必要がある。蓮くんの指摘で次に見るべき指標がはっきりしたわ。」
「競合環境の話も、本当に一強で片付けていいんですかね?」
蓮がさらに畳みかける。
「ZipRecruiterやGoogle for Jobsが弱いのは分かりましたけど、LinkedInは求人検索機能をどんどん強化してますし、生成AIを使った採用支援ツールを出してくる新興プレイヤーも増えてますよね。『モデルが違うから直接競合しない』というのは、今はそうでもこの先もずっとそうとは限らないんじゃないでしょうか。」
「痛いところを突いてくる。」
黒田が苦笑する。
「たしかに生成AIによって『採用担当者一人あたりの業務効率』が上がれば、必要な有料掲載の総量が減るという逆風のシナリオもゼロじゃない。ただ、今のところIndeedもAIを使ったマッチング精度の向上に投資してる。競合が変化するスピードと、リクルート自身が変化に対応するスピードのレースだと思ってる。」
「その視点、次回のフォローアップ項目に入れておきましょう。」
三浦がホワイトボードの隅に小さく書き足した。
「株主還元の面でも押さえておきたいのが、この会社は配当利回りより自社株買い利回りの方が圧倒的に厚いこと。」
三浦が付け加える。
「総還元利回りで見ると7%台後半。稼いだキャッシュを積極的に株数減らしに回す資本政策だから、EPSの伸びが利益の伸び以上に効いてくる構造がある。」
「ただ、フォワードPERはすでに直近の上方修正を織り込んで水準を切り上げてる。ストップ高の翌日に追いかけるのは悪手。押し目を待つべきだと思う。」
黒田が慎重な姿勢を崩さない。
「押し目を待ってる間に、また上方修正が出て株価が逃げていく可能性もあります。」
三浦が食い下がる。
「4期連続で最高益予想を上乗せしてきた会社が、5期目だけ大人しくなると考える根拠は薄い。押し目を待つ戦略は、押し目が来なかった場合のコストも織り込んで判断すべきです。」
「それを言い出したらどの銘柄も『今すぐ買い』になっちまう。」
黒田も譲らない。
「上がり続ける銘柄はない。上方修正の連続で期待値が積み上がるほど、一度の失速が与えるダメージも大きくなる。俺はタイミングの規律を優先したい。」
「レーティングコンセンサスはどうですか?」
蓮が確認する。
「『強気』水準で、目標株価コンセンサスは20,000円前後まで切り上がってる。決算後の数日間で証券各社が続々と目標株価を引き上げていて評価修正がまだ終わっていない印象。」
三浦が答える。
「テクニカルは?」
蓮が身を乗り出す。
「決算発表の翌営業日、株価は前日の終値より大きく上に離れて始まった。いわゆる『窓を開けた』状態。」
三浦がチャートを指す。
「重要なのは、そこから数日経った今もその窓の中に株価が一度も戻ってきていないこと。窓を開けた後すぐにその価格帯まで押し戻される値動きを『窓埋め』と呼ぶけれど、今のリクルートは窓埋めを拒否したまま高値圏で推移してる。これは相場の世界では『買いの勢いが本物』と判断される代表的なサインの一つよ。」
「窓が埋まらないというのはそんなに重要なんですか?」
蓮が尋ねる。
「窓を開けた直後は、材料に飛びついた投資家の利益確定売りで案外あっさり窓埋めが起きることも多い。」
三浦が答える。
「それを拒否して高値圏に張り付いているということは、押し目を待っていた投資家の買いや様子見していた資金がその都度吸収されている証拠。短期・中期・長期の移動平均線もすべて上向きで、株価はその上を走る第二ステージにも入っていてテクニカル的にはかなり強い部類に入る。」
「ただし、いつまでも窓埋めが起きないわけじゃない。」
黒田が水を差す。
「相場が過熱しきったタイミングで、何かのきっかけで一気に窓埋めが起きることもある。『窓埋め拒否=絶対安全』と思い込むのが一番危ない。」
「それなら窓埋めが起きた場合と起きなかった場合、両方のシナリオを想定しておけばいいんじゃないですか。」
蓮が提案する。
「窓の下限を明確なラインとして意識しておいて、そこを明確に割り込んだら『買いの勢いが本物』という仮説自体が崩れた合図として損切りする。逆に窓埋めを拒否し続けている間は、強気シナリオを維持する。そう決めておけば、感覚じゃなくてルールで判断できると思います。」
芦田が小さく笑った。
「いいまとめ方ね。窓のライン自体をリスク管理の基準にするというのは実務的にも使える発想よ。」
「その分、決算後の急伸で信用買いも一気に増えている。」
黒田が続ける。
「掲示板を見ても『さすがに急上昇し続けたから、しばらく高値圏でウロウロして過熱感を調整しそう』という声が出ているくらい短期的な過熱感は意識しておいた方がいい。」
三浦が付け加える。
芦田が締めくくった。
「結論、リクルートは『買い候補』にウォッチリスト入り。窓埋め拒否が続く限り強気シナリオを維持し、蓮の提案どおり窓の下限を管理ラインに設定しましょう。建玉はまだゼロ、その管理ラインを踏まえて初回エントリーのタイミングを詰めていきます。次の銘柄は検討中で、近日中に議論する予定よ。」
三銘柄の議論を終えて、蓮はノートを閉じた。今日は一度ならず、黒田と三浦の議論に自分の言葉で割って入ることができた。まだ二人のようにデータを即座に使いこなせるわけではないけれど、疑問に思ったことをそのまま声にする度胸だけは今日は出せた気がした。

<用語解説>
ARPJ(Average Revenue Per Job)……Indeedにおける掲載求人1件あたりの平均売上収益。無料掲載も含めた総求人数を分母に、有料サービスの売上を分子として算出される指標。
総還元利回り……配当利回りと自社株買い利回りを合算した、株主への総合的な利益還元率を示す指標。
窓(ギャップ)……株価が前日の値幅から大きく離れて始まり、チャート上に空白(窓)ができる現象。好悪材料に反応して強く始値が飛ぶ時に発生しやすい。
窓埋め……開いた窓の価格帯まで、後日株価が戻ってくる値動き。窓埋めが起きやすいという経験則がある一方、必ず起きるとは限らない。
窓埋め拒否……窓が開いた後、株価がその窓の価格帯に戻らないまま推移すること。買いの勢いが強いサインとして意識されるが、過信は禁物とされる。
過熱感……株価が短期間に急激に上昇し、テクニカル指標上で「買われすぎ」とされる状態。反動的な調整が意識されやすい。
第97話に続く
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